掌編

夏希

ベランダの柵に身を乗り出し、夏を眺めていた。背の高いビルをてらてらと照らす炎のような夕焼け。生暖かい風に揺れる緑黄の木々の葉。道を行き交う浴衣姿の人たち。茹だるような三十五度に汗を垂らしながら、それらの光景を眺めていた。夏は私が生まれた季…

或る孤独な青年の体験記としての合法ハーブ 下

鬱屈で散々たる生活に俺が望んでいたのは、こういった安易で直感的な快楽だけだった。全身に、それも爪の先まででろんとした薄い皮膜が貼ったような感触を覚る。局部麻酔を少し優しくしたような、心地よい痺れだ。そして問答無用に脳髄が覚醒する。いつもの…

或る孤独な青年の体験記としての合法ハーブ 上

一仕事終えたデリヘル嬢を乗せた黒塗りのセダンが目の前の道路を走り過ぎ、盛りのついた2匹の猫が互いに求愛の鳴き声をあげるをの、ベランダに設置されていたエアコンの室外機に腰掛け眺めていた。窓を開け、寝室に戻る。ついさっきまであった愛おしくもイン…

星の王子様

先ほどから何度も執拗に確認していた時計が、ようやくこの退屈で長ったらしい懲役期間の終わりを告げる。店長からの一言で、私は正式に釈放される。タイムカードを素早く切り、制服から普段着へと着替えた私の心模様は、この後の予定とは裏腹に仄暗いものだ…

潮騒

生温かい風が吹き、磯の香りとタバコの煙が鼻腔へと吸い込まれてゆく。澄み切った空、鴎の鳴き声。防波堤の向こうには、陽光に照らされ金色に光る水面が広がっている僕の心持ちを皮肉るように、景色のすべてはこれ以上ない程清々しかった。 コンクリートで舗…

続き物 その2

「うーん……」私の思案を遮るように、男が興奮気味に続ける。 「すごい気持ちいいからさ!それに、ほら、いつだかいってたじゃん。『自分の体をなるだけ汚したいんだ』って」 少し前に犯した失態を蒸し返し、私を詰る。 男のあまりの軽薄さに、何故だか笑みが…

続き物 その1

阪神電車、大阪難波駅、スターバックスコーヒーを横切り、24番出口の階段を駆け上がる。 だんだんと構内のけたたましい音が遠くなり、18時の陽光が斜め上から網膜へと、容赦無く照射される。 光と音に少しだけ疎ましさを感じながら、携帯を取り出す。待ち合…

処女作

これで何度目だ、また僕は真っさらな原稿を置きっ放しにしてしまう。 小説を書こうと思っても、書き出しすら思いつくことができない。 そもそも、どうしても書きたい主題がないのだ。 僕は、これ以上不毛な時間を過ごすまいと、書斎を後にしリビングで一喫す…